高野山 壇上伽藍の見どころ完全ガイド
壇上伽藍は高野山の2つの聖地の一つです。弘法大師が高野山を開創するにあたって、最初に造営を始めた重要な場所です。高野山のシンボルである根本大塔やその対になる西塔、重要な行事が行われる総本堂である金堂、国宝に指定されている不動堂など、境内には19の建造物が立ち並んでいます。この記事では海外および国内からの旅行者の方向けに、高野山 壇上伽藍の見どころを紹介します。
なお高野山全体に関する解説記事については「高野山 (和歌山県) の見どころとアクセス方法」を参照されてください。
(Last modified: )
Table of contents
金堂
金堂(こんどう)は高野山全体の総本堂で、弘法大師によって建設されました。以前は講堂と呼ばれていました。重要な儀式はここで行われます。たびたび火災による焼失がありましたが、現在の建物は1932年に再建されたものです。
金堂の西側には登天の松(とうてんのまつ)と呼ばれる松の木があります。如法(にょほう)上人がこの松より弥勒菩薩の浄土へと昇天されたと言われています。
根本大塔
根本大塔(こんぽんだいとう)は真言密教の根本道場(こんぽんどうじょう)として、弘法大師および真然大徳(しんぜんだいとく)と二代を費やして887年に完成したと言われています。日本最初の多宝塔で、高野山のシンボルです。内部では胎蔵大日如来(たいぞうだいにちにょらい)を金剛界の四仏(しぶつ)が囲み、16本の柱には十六大菩薩が描かれ、さらに四隅の壁には八祖像(はっそぞう)が描かれており、立体の曼荼羅(まんだら)として構成された作りになっています。
根本大塔の前には大塔の鐘があります。現在の鐘は 1547 年に完成したもので、日本で四番目に大きな鐘であったことから高野四郎と呼ばれています。
西塔
西塔(さいとう)は根本大塔と対になる多宝塔です。内部は金剛界大日如来を胎蔵界の四仏が囲んでいます。根本大塔よりも少し小さいですが、木造建造物としては高野山で最も大きいものです。また、大日如来像は創建当初に造られたもので、高野山に現存する仏像の中で最古のものとなっています。
六角経蔵
六角経蔵(ろっかくきょうぞう)は鳥羽上皇の菩提を弔うために皇后が建立したお経を収めるための経蔵です。現在の建物は1934年に再建されたものです。経蔵の基壇の部分にある把手を押すと回すことができ、一周回すことで一切経を一回読経したのと同じ功徳が得られると言われています。
不動堂
不動堂は鎌倉時代に創建されたもので、当初は一心院谷(いつしんいんだに)にあったものを明治41年に解体修理に伴い壇上伽藍に移設されました。高野山に現存する最古の建造物の一つで、国宝に指定されています。内部には不動明王像および運慶(うんけい、鎌倉時代を代表する仏師)による八大童子立像が安置されていました。
御影堂
御影堂(みえいどう)はもともと弘法大師の持仏堂として使われていたお堂ですが、弘法大師が入定された後に真如親王(しんにょしんのう)が描いた弘法大師御影像を安置したことから、御影堂と名付けられました。高野山でも最重要の聖域とされ、普段は参拝できませんが、年に一度の御逮夜法会(おたいやほうえ)のあとに御影堂内を参拝できます。
三鈷の松
金堂と御影堂の間にある松の木は三鈷の松(さんこのまつ)と呼ばれています。弘法大師が唐より帰国されるときに、真言密教をひろめるにふさわしい場所を求めるため三鈷杵(さんこしょう)を投げたところ、高野山にあるこの松に三鈷杵が引っかかっていたそうです。三鈷の松の落ち葉は、縁起物として参拝者の方が持ち帰っているそうです。
中門
中門(ちゅうもん)は火災による焼失が何度かあり、1843年の焼失後は礎石のみが残っていましたが、高野山開創1200年を記念して2015年に再建されました。中門には四天王像が安置されていましたが、多聞天と持国天は江戸時代に再建されたものが残っており、増長天と広目天は中門の再建に合わせて再建され、現在は四天王が揃っています。
御社と山王院
壇上伽藍の西端にある御社(みやしろ)は、高野山開創の際に高野山の守護神として丹生明神(にうみょうじん)と高野明神(こうやみょうじん)を祀るために建てられた社です。また、山王院は御社の拝殿として建立されたものです。山王院では密教に関する問答を繰り広げる重要な儀式、山王院竪精(さんのういんりっせい)が年に一回行われます。
孔雀堂
孔雀堂(くじゃくどう)は 1199 年に延杲(えんごう)によって行われた雨乞いの祈祷の功績として建立されたものです。 1926 年に金堂からの出火によって焼失しましたが、 1983 年に再建されています。快慶作のご本尊の孔雀明王は霊宝館に収蔵されています。
准胝堂
准胝堂(じゅんていどう)は 973 年に真然大徳(しんぜんだいとく)によって建立されました。本尊の准胝観音(じゅんていかんのん)は、弘法大師が自ら造立されたもので、当初は食堂に安置されていました、准胝堂の建立にあわせて移されました。何度か焼失したのち、現在の建物は 1883 年に再建されたものです。
愛染堂
愛染堂(あいぜんどう)は 1334 年に後醍醐天皇の御願(ごがん)によって、世界が平和であることを意味する四海静平(しかいせいへい)、天皇の身体が健康で安らかであることをを意味する玉体安穏(ぎょくたいあんのん)を祈るために建立されました。現在の建物は 1848 に再建されたものです。
大会堂
大会堂(だいえどう)は鳥羽法王の皇女である五辻斎院(ごつじさいいん)内親王が、父帝の追福のため建立されました。現在の建物は 1848 年に再建されたものです。
三昧堂
三昧堂(さんまいどう)は金剛峯寺の 6 代目座主である済高(さいこう)が建立したお堂です。元々は総持院(そうじいん)境内にあったものを壇上伽藍に移したあと、西行法師(さいぎょうほうし)によって修繕されたと伝えられています。
三昧堂の前にある桜は、西行法師の手植えの桜として、西行桜と呼ばれています。
東塔
東塔(とうとう)は 1127 年に白河院の御願によって創建されました。蛇腹路から壇上伽藍に入ってすぐの場所にあります。 1843 年に火災で焼失したあと、長い間再建されることがありませんでしたが、昭和の時代になり 1984 年に再建されました。
高野山 壇上伽藍の住所およびアクセス方法
高野山 壇上伽藍の住所
高野山 壇上伽藍の住所は「和歌山県伊都郡高野町高野山152」です。
高野山 壇上伽藍へのアクセス方法
新大阪駅から高野山 壇上伽藍へのアクセス方法について解説します。
OsakaMetro 御堂筋線
15 分
徒歩
8 分
南海電鉄 高野線
80 分
南海電鉄 高野山ケーブルカー
5 分
南海りんかいバス
13 分
徒歩
すぐ
公式サイト
高野山 壇上伽藍に関するオフィシャルサイト:
https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html#danjogaran
-- --
最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
( Written by Tatsuo Ikura )