興福寺 (奈良県) の見どころとアクセス方法

興福寺は、奈良県奈良市にある寺院で、法相宗の大本山です。京都市で建立された山階寺と呼ばれる寺が起源で、710年の平城遷都の際に現在の地に移され、興福寺と改名されました。木造の塔として日本で二番目に高い五重塔があります。また2018年には中核施設である中金堂が301年ぶりに再建されました。興福寺はユネスコの世界遺産に登録されており、古都奈良の文化遺産の一部です。

この記事では海外および国内からの旅行者の方向けに、興福寺の見どころとアクセス方法についてご紹介します。

興福寺(0)

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(都道府県 : 奈良県 , カテゴリー : 寺院)

興福寺の見どころ

興福寺の見どころについてご紹介します。

興福寺とは

興福寺は669年に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)の夫人、鏡大王(かがみのおおきみ)によって藤原氏の氏寺として建立された山階寺(やましなでら)が起源です。その後、672年に山階寺は藤原京に移転し、厩坂寺(うまやさかでら)に改名されました。さらに710年の平城京への遷都に合わせて現在の場所へ移転し、興福寺に改名されました。

興福寺は藤原氏と共に隆盛し、奈良時代から大きな勢力を誇っていました。その後、戦国時代から江戸時代にかけても一定の規模の勢力を維持していました。また平安時代以降は同じく藤原氏によって創設された春日社(現在の春日大社)と一体として運営されていましたが、明治の神仏分離令以降、ほとんどの境内地が没収され、最終的には堂塔の敷地のみが残されることとなりました。

興福寺のかつての境内地の多くは現在の奈良公園となっています。例えば興福寺に隣接する登大路園地や「ならまち」と言われるエリアのほとんどは興福寺の旧境内地です。

登大路園地:

登大路園地:興福寺の見どころ(1)

登大路園地:興福寺の見どころ(2)

五重塔

古都奈良のシンボルの一つであり、国宝にも指定されている興福寺の五重塔は、 730 年に建立されました。火災により喪失が何度か繰り返され、現在のものは 1426 年に再建されたものです。

五重塔は高さが 50.1 メートルあり、木造の塔としては京都の東寺にある五重塔に次いで日本で 2 番目の高さです。 2023 年から大規模な修理が開始され、 2031 年まで続く予定です。

五重塔:興福寺の見どころ(1)

五重塔:興福寺の見どころ(2)

五重塔:興福寺の見どころ(3)

五重塔:興福寺の見どころ(4)

2024 年 7 月の時点では完全に五重塔は見えなくなっています。

五重塔:興福寺の見どころ(5)

国宝館

食堂があった場所に 1959 年に建設されたのが国宝館です。仏像彫刻や絵画、古文書などの数々の国宝・重要文化財が収蔵されています。

収蔵されている作品としては、木造千手観音菩薩立像(せんじゅかんのんぼさつりゅうぞう)や阿修羅像(あしゅらぞう)などがあります。どちらも国宝です。

国宝館:興福寺の見どころ(1)

国宝館:興福寺の見どころ(2)

国宝館:興福寺の見どころ(3)

中金堂

中金堂(ちゅうこんどう)は興福寺が平城京に遷都に合わせて移転した頃から建設が行われ、 717 年頃に創建されました。興福寺伽藍の中心になる最も重要な建物です。火災により焼失が繰り返され、 1717 年に喪失されてからは仮堂があった状態が長い期間続いていましたが、 2018 年に 300 年ぶりに再建が行われました。

中金堂:興福寺の見どころ(1)

中金堂:興福寺の見どころ(2)

中金堂:興福寺の見どころ(3)

中金堂:興福寺の見どころ(4)

中金堂:興福寺の見どころ(5)

中金堂:興福寺の見どころ(6)

なお興福寺には中金堂の他に東金堂(とうこんどう)と西金堂(さいこんどう)があり、東金堂は現存していますが西金堂は 1717 年の火災で焼失後は再建が行われておらず礎石のみが残っています。

東金堂

東金堂(とうこんどう)は中金堂の東側にある金堂で 726 年に創建されました。火災による何度かの焼失のあと現在の建物は室町時代の 1415 年に再建されたものです。国宝に指定されています。

堂内には重要文化財である薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)、脇侍の日光・月光菩薩立像(にっこう・がっこうぼさつりゅうぞう)などが安置されています。

東金堂:興福寺の見どころ(1)

東金堂:興福寺の見どころ(2)

東金堂:興福寺の見どころ(3)

東金堂:興福寺の見どころ(4)

東金堂:興福寺の見どころ(5)

南円堂

南円堂(なんえんどう)は藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が父の内麻呂の冥福を願って 813 年に建立した八角円堂です。火災による焼失を繰り返したあと、現在のものは 1789 年に再建されたものです。

堂内には国宝に指定されている木造不空羂索観音菩薩坐像(ふくうけんさくかんのんぼさつざぞう)、木造四天王立像(してんのうりゅうぞう)、木造法相六祖坐像(ほっそうろくそざぞう)などが安置されています。南円堂は普段は公開されておりませんが、毎年 10 月 17 日にだけ特別開扉が行われて内部を拝観できます。

南円堂:興福寺の見どころ(1)

南円堂:興福寺の見どころ(2)

南円堂:興福寺の見どころ(3)

南円堂:興福寺の見どころ(4)

南円堂正面に置かれた金銅燈籠と呼ばれる燈籠は、南円堂創建時から残っているもので国宝に指定されています。東大寺の大仏殿正面にある燈籠に次いで古いものです。現在は国宝館に収蔵されており、南円堂正面にあるものはレプリカです。

南円堂:興福寺の見どころ(5)

北円堂

北円堂(ほくえんどう)は藤原不比等(ふじわらのふひと)の1周忌にあたる721年に創建された八角円堂です。火災で一度焼失したあと、 1210 年に再建されました。三重塔と共に興福寺に現存する建物の中で最古のものです。国宝に指定されています。

北円堂は普段は非公開となっております。不定期に行われる特別公開のときに内部を拝観できます。

北円堂:興福寺の見どころ(1)

三重塔

三重塔は 1143 年に創建されました。 1180 年に火災で焼失したあと、正確な年代は不明ですが焼失後すぐの鎌倉前期に再建されたと言われており、北円堂と共に興福寺に現存する建物の中で最古のものです。国宝に指定されています。

三重塔は普段は公開されておりませんが、毎年 7 月 7 日にだけ特別開扉が行われて内部を拝観できます。

三重塔:興福寺の見どころ(1)

三重塔:興福寺の見どころ(2)

猿沢池から見た五重塔

猿沢池(さるさわいけ)は興福寺の放生池(ほうじょうち)として 749 年に造られた人口の池です。現在でも興福寺では猿沢池で放生会(ほうじょうえ)という行事が行われています。猿沢池から見た興福寺の五重塔が奈良を代表する景観の一つと言われています。

猿沢池から見た五重塔:興福寺の見どころ(1)

猿沢池から見た五重塔:興福寺の見どころ(2)

猿沢池から見た五重塔:興福寺の見どころ(3)

2024 年 7 月の時点では五重塔が工事中のため見えなくなっています。

猿沢池から見た五重塔:興福寺の見どころ(4)

興福寺の住所およびアクセス方法

興福寺の住所

興福寺の住所は「奈良県奈良市登大路町48番地」です。

興福寺へのアクセス方法

近鉄奈良駅から興福寺へのアクセス方法について解説します。なお JR 奈良駅から徒歩で移動する場合は 15 分ほどかかります。

近鉄奈良駅

徒歩
5 分

興福寺

興福寺の駐車場

興福寺には公式の駐車場が用意されています。興福寺の駐車場の場所や料金については「興福寺の公式駐車場の場所と利用料金」を参照されてください。

興福寺の近くにある観光スポット情報

興福寺の近くには、他にもいくつかの観光スポットがあります:

東大寺
東大寺は奈良県奈良市にある華厳宗の大本山です。奈良の大仏さまで有名です。聖武天皇の発願により奈良時代に創建され、大仏殿は751年に完成しました。その翌年には大仏の開眼供養が行われています。世界最大級の木造建築物である大仏殿や、国宝である二月堂が人気スポットとなっています。東大寺はユネスコの世界遺産に登録されており、古都奈良の文化遺産の一部です。

奈良公園
奈良公園は奈良県奈良市にある公園です。奈良公園の周辺には数多くの鹿がいることで有名です。奈良公園がどの範囲を含むかは定義によりますが、東大寺、興福寺、春日大社、奈良国立博物館、若草山、春日山原始林などを含む場合もあります。一般的には、周辺の寺社も含めて奈良公園と称されます。

春日大社
春日大社は奈良県奈良市にある神社で、全国に約 1,000 社ある春日神社の総本社です。奈良時代の 768 年に、平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために称徳天皇の勅命を受けて、藤原氏により創建されました。平安時代から寄進されてきた約 3,000 基の灯籠を参道や本殿周辺の回廊で見ることができます。春日大社はユネスコの世界遺産に登録されており、古都奈良の文化遺産の一部となっています。

薬師寺
薬師寺は奈良県奈良市にある寺院で、法相宗の大本山です。境内には2つの三重塔が建てられており、そのうちの一つである東塔は、薬師寺の創建当初から残っている歴史的にも非常に貴重な建造物です。また、金堂に安置されている国宝の薬師三尊像は、白鳳時代の仏像の中でも最高傑作の一つと言われています。

興福寺に関するその他の情報

興福寺に関するオフィシャルサイト:

https://www.kohfukuji.com/

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最後まで読んで頂きましてありがとうございました。

( Written by Tatsuo Ikura )