明治村4丁目エリアの見どころ完全ガイド
愛知県犬山市にある明治村は1丁目から5丁目までに大きく分かれています。ここでは明治村の4丁目エリアの見どころについて解説します。エリア内には 17 の施設があり、宇治山田郵便局舎や呉服座が国の重要文化財に指定されています。また機械館の中に設置されている「リング精紡機」「ゐのくち渦巻ポンプ」「菊花御紋章付平削盤」は国の重要文化財に指定されています。
なお明治村全体に関する解説記事については「明治村 (愛知県) の見どころとアクセス方法」を参照されてください。
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Table of contents
4-34 第四高等学校武術道場「無声堂」
「4-34 第四高等学校武術道場「無声堂」 / Musei-do Gymnasium for Martial Arts, Fourth National High School」です。大正 6 年に建設、旧所在地は石川県金沢市仙石町です。第四高等学校(現在の金沢大学)に建造された武道場です。内部は剣道場と柔道場に分かれており、更衣室や浴室がありました。
中は大きく 2 つに分けられており、右が柔道場、左が剣道場になっています。
剣道場の横の通路を通ってさらに奥へ行くと、弓道場があります。
4-35 日本赤十字社中央病院病棟
「4-35 日本赤十字社中央病院病棟 / Ward, Japan Red Cross Society, Central Hospital」です。明治 23 年に建設、旧所在地は東京都渋谷区広尾です。日本赤十字社病院の敷地内に建っていた、分棟式の木造病棟 9 つのうちの 1 棟です。当時としては最先端の設備を誇っていた病院だったそうです。
当時の病室の様子を見ることができます。
左が大正15年制定の看護救護員の制服です。右が昭和40年代に使用された看護衣です。
4-36 歩兵第六聯隊兵舎
「4-36 歩兵第六聯隊兵舎 / Barrack, Sixth Infantry Regiment」です。明治 6 年に建設、旧所在地は愛知県名古屋市中区二の丸です。名古屋城大手門の右手にある二之丸跡に兵営が設置され、営庭を取り囲むように兵舎が配置されていました。
中に入るとすぐ左側に「和雑貨 楽」があります。可愛らしい和風の雑貨が販売されています。
階段を上がって二階に上がると、矢場や射的を楽しめるお店があります。
一階には下士官室や中隊長室、事務室、見習士官室があります。
下士官室です。
中隊長室です。
事務室です。
見習士官室です。
内務班の部屋です。
左から、騎兵服、歩兵第六聯隊歩兵服、陸軍主計少佐礼装帽、陸軍主計少佐正衣、陸軍少将第一種帽、陸軍少将正装揃です。
4-37 名古屋衛戍病院
「4-37 名古屋衛戍病院 / Ward and Administration Office, Nagoya Garrison Hospital」です。明治 11 年に建設、旧所在地は愛知県名古屋市中区三の丸です。明治 6 年の東京を皮切りに、順次整備されていった陸軍衛戍病院の一つで、名古屋城内に置かれた陸軍名古屋鎮台の附属病院です。
医療用X線装置ダイアナ号です。大正14年(1925年)のものです。大正7年から島津製作所で製作された機械式整流方式による医療用X線装置です。高性能で国内で利用されるだけでなく、海外にも数多く輸出されました。
左の機器は医療用X線高電圧装置です。右の機器は初期のX線管支持器です。
4-38 シアトル日系福音教会
「4-38 シアトル日系福音教会 / Japanese Evangelical Church」です。明治 40 年に建設、旧所在地はアメリカ・ワシントン州シアトル市です。建設された当初はアメリカ人の方の住居でしたが、日系移民の方がその後所有し、戦後に別の日系一世の方が所有されて教会として使用されました。
一階は教会として使用されていました。他に食堂や台所があります。
二階には 4 つの部屋と浴室があります。
長女の部屋です。
夫妻の寝室です。
次男と三男の部屋です。
長男の部屋です。
4-39 ブラジル移民住宅
「4-39 ブラジル移民住宅 / Japanese Immigrants' House, Registro, Brazil」です。大正 8 年に建設、旧所在地はブラジル・サンパウロ州レジストロ市です。ブラジルに入植した日本人の方が、同じ入植者の日本人の大工の方と一緒に密林を切り開いて建設された住宅です。 1 階を納屋、 2 階を住居として使用されていました。
笠戸丸です。ブラジルへの第一回日本移民 781 名を輸送するのに使われました。
4-40 ハワイ移民集会所
「4-40 ハワイ移民集会所 / Japanese Immigrants' Assembly Hall」です。明治 22 年に建設、旧所在地はアメリカ・ハワイ州ヒロ市です。ハワイへ移住した日本人向けの教会して建設され、教会として役目を終えたあとは、周辺の日本人の集会所として利用されたあと、地元の英字新聞社の倉庫として使用されました。
ペペオケ耕地の鐘です。起床や作業開始の合図として使われていました。
4-41 六郷川鉄橋
「4-41 六郷川鉄橋 / Rokugo River Iron Bridge」です。明治 10 年に建設、旧所在地は東京都蒲田・神奈川県川崎間の六郷川です。六郷川鉄橋は日本初の複線用鉄橋です。
4-42 尾西鉄道蒸気機関車1号
「尾西鉄道上記機関車1号 / Steam Locomotive No.1 of the Bisai Railways」です。明治 30 年に製造されたものでアメリカのブルックス社製です。尾西鉄道が開業するにあたって購入しました。明治 31 年に愛知県の弥冨~津島間、明治 33 年に弥冨~新一宮間で使用されました。
4-43 蒸気機関車12号/9号および三等客車
「4-43 蒸気機関車12号/9号および三等客車 / Steam Locomotive No.12, No.9, and Third Class Passenger Coaches」です。日本初の鉄道が明治 5 年に新橋から横浜間で開通し、その間を蒸気機関車が運行していました。明治村にある蒸気機関車 12 号と 9 号はどちらも明治時代に製造し、実際に運行に使われていたものです。三等客車として使用されている車両は 3 両あり、いずれも明治時代に製造されたものです。明治村ではSL名古屋駅とSL東京駅との間を蒸気機関車および三等客車が運行しており乗車体験することができます。
4-44 鉄道寮新橋工場(機械館)
「4-44 鉄道寮新橋工場(機械館) / Shimbashi Factory of the Japan National Railway (The Machinery Hall)」です。明治 5 年に建設、旧所在地は東京都品川区大井町です。鉄道寮新橋工場は新橋停車場に機関車修復所として建造されたものです。
鉄道寮新橋工場の中は機械館となっており、貴重な機械が展示されています。この中で「リング精紡機」「ゐのくち渦巻ポンプ」「菊花御紋章付平削盤」は国の重要文化財に指定されています。機械館で展示されているすべての機器については「機械館(明治村)に展示されているすべての機械の見どころガイド」を参照されてください。
4-45 工部省品川硝子製造所
「4-45 工部省品川硝子製造所 / Shinagawa Glass Factory」です。明治 10 年に建設、旧所在地は東京都品川区北品川です。ガラス工場施設の一部で、大きな窯場や倉庫に隣接して建造されました。
工部省品川硝子製造所は 2024年5月 から 2024年12月 まで修理工事を行っています。
4-46 宇治山田郵便局舎
「4-46 宇治山田郵便局舎 / Uji-Yamada Post Office」です。明治 42 年に建設、旧所在地は三重県伊勢市岩淵町です。伊勢神宮外宮前に建てられた郵便局舎です。
日本初の郵便ポストである書状集箱(都市用)です(複製です)。明治 4 年に東京、大阪、京都に設置されていました。
郵便外務員(配達員)の制服です。
黒塗柱箱です。郵便が全国に広がったあと、明治 5 年頃から柱型の黒いポストが全国に配置されました。展示されているのは改良型で明治 20 年頃から用いられていたものです。
丸型廂付ポストです。赤色のポストになったのが明治 34 年頃です。展示されている差し入れ口に廂(ひさし)が付いたものは明治 45 年頃から使われました。
郵便配達に自転車が使われるようになったのは明治 25 年頃と言われています。
郵便差出箱3号です。昭和26年頃に登場した初の角形モデルで、郵便の量が多いところに設置されました。
郵便配達にバイクが用いられるようになったのは昭和 30 年代以降です。ホンダ製の郵便配達専用のバイクとして作られたものです。
切手倉庫です。切手は金券であるため、切手倉庫は銀行の金庫と同様に、耐火・防火・防犯を考慮して作られています。
4-47 本郷喜之床
「4-47 本郷喜之床 / Barber Shop Kinotoko, Hongo」です。明治末年に建設、旧所在地は東京都文京区本郷です。「喜之床」という屋号の理髪店です。店の正面をガラス張りにしているのは当時の新しいスタイルです。石川啄木が明治 42 年からこの建物の2階二間を間借りして家族と生活していました。
4-48 小泉八雲避暑の家
「4-48 小泉八雲避暑の家 / Summering House of Lafcadio Hearn」です。明治初年に建設、旧所在地は静岡県焼津市城之腰です。小泉八雲(本名ラフカディオ・ハーン)さんは、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた人で、明治 23 年に来日し、その後帰化しました。毎年夏を焼津にあるこの家で過ごすようになったそうです。現在駄菓子屋としてオープンしています。
4-49 呉服座
「4-49 呉服座 / Kureha-za Theater」です。明治 25 年に建設、旧所在地は大阪府池田市西本町です。大阪府の猪名川の川岸にあった芝居小屋です。元々は池田市本町にあった戎座を明治 25 年に西本町に移築し、合わせて名称も変更しました。
4-50 半田東湯
「4-50 半田東湯 / Bathhouse Azuma-yu」です。明治末年に建設、旧所在地は愛知県半田市亀崎町です。お風呂屋です。男湯と女湯は分かれていますが、浴槽は中でつながっています。
男湯と女湯は分かれていますが、湯舟の中はつながっています。
二階には湯上りに休憩できるところがあり、男湯の方に階段が設置されていました。
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最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
( Written by Tatsuo Ikura )